新元号は「令和」
昨日(2019年4月1日)、新元号の「令和」が発表されました。
248番目の元号にあたります。
海外住みで、普段から元号を使用する習慣のない私でさえも、今回の新元号発表前はソワソワして落ち着きがありませんでした。発表の30分くらい前からYouTubeの中継動画の前に張り付いて待っていました。
「令和」と聞いた時、まず最初に「ら行始まり?!」と驚き、次にその出典が『万葉集』であることに更に驚くとともに大変喜ばしい気持ちになりました。
直ちに『万葉集』第五、梅花の歌 三十二首 序文を調べました。
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
(現代訳)
「早春、よい月に空気は清く風はさわやかで、梅は美女の鏡台の白粉(おしろい)のように白く開き、蘭は飾り玉にしみこませた香のような香りを漂わせている。」
(現代訳は「万葉集の植物たち」川原勝征 より)
令月は、何事をするにもよい月。めでたい月。また陰暦二月の異名でもあります。
ここでの梅は白梅を示していますね。
蘭(おそらくシュンラン)は貴族が携帯している香り袋のようにふわっとした良い香りを放っている。
短い文の中にも五感に訴えかける春の描写がいっぱい詰まっていて素敵ですね。
良い意味で予想を裏切られた新元号「令和」。私はとても好きです。
安倍首相は昨日の新年号発表後の談話の中で、
ということ、また『万葉集』に触れた際には、
と述べていました。
「令和」に込められた意味や思いは、私がお世話になっている玲月流の方向性と重なるところが多く、そういった点でも新元号には格別な心情が湧きます。
篠笛 玲月流とは / 篠笛「玲月流−れいげつりゅう−」(民の謡−たみのうた−)
奇しくも、「令和」の出典となった『万葉集』第五、梅花の歌 三十二首 序文に出てくる「令月」(れいげつ)という言葉は、意味は違えど、玲月(れいげつ)流と同じ音なんです。
なんともこんなことってあるのですね・・・
今回の新元号発表は、多くの日本人にとって『万葉集』を始めとした国書や、そこで書き綴られた日本語の響きの美しさを再評価する良いきっかけとなるでしょう。日本語という言語を通して日本の「音」が再認識される絶好の機会です。
日本の「音」の再評価が、言語にとどまらず、日本の音楽(本来、言語と音楽ははっきりした境界線で区切られるものではありませんが)を通してなされるところまで期待したいです。
しかし、日本の音楽については、明治維新以降のドレミ教育の根深さ故に、一般の人が普通に生活していたら、日本の音楽に触れる機会すら与えられないのが現状で、一筋縄にはいきません。みなさんに日本の音楽を聴いてもらう、また日本の音楽が持つ魅力を知ってもらう機会を増やすことが必要です。
その一端を担うのが玲月流であると思います。
今現在は、森田先生や奥様の香織先生にお任せするばかりとなっておりますが、私を含めた門下生も本腰を入れて、篠笛のこと、日本の音楽のことを演奏と自分の言葉で外に向けて伝えていくべきなのではないかと。
今までも勿論その考えは私の中でございましたが、新元号発表の報を受けてより一層その気持ちが固まった気がいたします。
新しい時代の到来を目前に、少し大げさではありますが、湧き上がる使命感を覚えたそんな四月朔日でした。
海外住みで、普段から元号を使用する習慣のない私でさえも、今回の新元号発表前はソワソワして落ち着きがありませんでした。発表の30分くらい前からYouTubeの中継動画の前に張り付いて待っていました。
「令和」と聞いた時、まず最初に「ら行始まり?!」と驚き、次にその出典が『万葉集』であることに更に驚くとともに大変喜ばしい気持ちになりました。
直ちに『万葉集』第五、梅花の歌 三十二首 序文を調べました。
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きゃうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かを)らす」
(現代訳)
「早春、よい月に空気は清く風はさわやかで、梅は美女の鏡台の白粉(おしろい)のように白く開き、蘭は飾り玉にしみこませた香のような香りを漂わせている。」
(現代訳は「万葉集の植物たち」川原勝征 より)
令月は、何事をするにもよい月。めでたい月。また陰暦二月の異名でもあります。
ここでの梅は白梅を示していますね。
蘭(おそらくシュンラン)は貴族が携帯している香り袋のようにふわっとした良い香りを放っている。
短い文の中にも五感に訴えかける春の描写がいっぱい詰まっていて素敵ですね。
良い意味で予想を裏切られた新元号「令和」。私はとても好きです。
令和時代を目前に、決意固まる
安倍首相は昨日の新年号発表後の談話の中で、
「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている
ということ、また『万葉集』に触れた際には、
悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく
と述べていました。
「令和」に込められた意味や思いは、私がお世話になっている玲月流の方向性と重なるところが多く、そういった点でも新元号には格別な心情が湧きます。
篠笛 玲月流とは / 篠笛「玲月流−れいげつりゅう−」(民の謡−たみのうた−)
奇しくも、「令和」の出典となった『万葉集』第五、梅花の歌 三十二首 序文に出てくる「令月」(れいげつ)という言葉は、意味は違えど、玲月(れいげつ)流と同じ音なんです。
なんともこんなことってあるのですね・・・
今回の新元号発表は、多くの日本人にとって『万葉集』を始めとした国書や、そこで書き綴られた日本語の響きの美しさを再評価する良いきっかけとなるでしょう。日本語という言語を通して日本の「音」が再認識される絶好の機会です。
日本の「音」の再評価が、言語にとどまらず、日本の音楽(本来、言語と音楽ははっきりした境界線で区切られるものではありませんが)を通してなされるところまで期待したいです。
しかし、日本の音楽については、明治維新以降のドレミ教育の根深さ故に、一般の人が普通に生活していたら、日本の音楽に触れる機会すら与えられないのが現状で、一筋縄にはいきません。みなさんに日本の音楽を聴いてもらう、また日本の音楽が持つ魅力を知ってもらう機会を増やすことが必要です。
その一端を担うのが玲月流であると思います。
今現在は、森田先生や奥様の香織先生にお任せするばかりとなっておりますが、私を含めた門下生も本腰を入れて、篠笛のこと、日本の音楽のことを演奏と自分の言葉で外に向けて伝えていくべきなのではないかと。
今までも勿論その考えは私の中でございましたが、新元号発表の報を受けてより一層その気持ちが固まった気がいたします。
新しい時代の到来を目前に、少し大げさではありますが、湧き上がる使命感を覚えたそんな四月朔日でした。
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