2017/03/08

図書館での演奏

去る2月25日(土)、National Library主催の”RE:SOUND”というイベントで響屋から演奏しました。


Central Public Library内のGarden Squareという図書館内にあるお庭で演奏する予定が、開始直前に大雨に見舞われ、急遽室内の別会場へ移動することに。

この時、既に集まっておられたお客様がご自身の傘を差し出して必死で楽器が雨に濡れないように運搬を手伝ってくださいました。なんていい人達なんでしょう。
ありがとうございました。

ハプニングに少し動揺しましたが、無事いつも通りの演奏を終えることが出来ました。

演奏後、何人かのお客様が篠笛に興味を持たれたようで色々聞きにこられました。
中にはDizi(中国の横笛)やインド笛をされている方もいらして笛トークで大盛り上がり。
初めてインド笛を吹かせて頂きました。

バンスリと言うんですね。深く柔らかい音が出ました。大きいものは私の指では全然指孔を塞ぐことが出来ませんでした(^^;

大きな舞台での演奏も良いですが、こうしてローカルの人達に我々がやっている古典楽器や古典音楽のことを直にお話して皆さんに身近に感じて頂ける機会をもっと持ちたいなと改めて感じました。

これは篠笛という楽器です、と会場のお客様に紹介

演奏後わらわらと集まる笛好き達

バンスリ体験





〈こんなところでも篠笛を吹きました〉
シンガポールでほんまもんの民謡演奏

篠笛やってるあるシンガポール人男性

シンガポールで共に篠笛を練習している仲間(9割シンガポール人であとは日本人)の中で、ある熱心な30代のシンガポール人男性がいます。

彼は昨年冬にある地域のお囃子を習いに現地に赴き、そのお囃子の笛の部の大会で何回も優勝しているスゴイ方から直接笛を習うという貴重な体験をしてきました。

彼がシンガポールからわざわざ日本に笛を習いに行ったことは誰にでも出来ることではありませんし、彼の行動力と勇気には賞賛を送りたいです。
しかし、私が一番エライな、と思ったことは修行を終えて帰って来た後の彼の姿勢でした。

とにかくこの彼、帰国してから会う度にぐんぐん笛が上手くなっているんです。

もちろん日本でしっかり指導頂いたからなんですけど、たった一回のご指導の中で教えて頂けることと、教わる側が理解し消化出来ることは限られています。
彼はお稽古中で体得出来なかったたくさんの宿題を日本から持ち帰ったと思います。
その一つ一つを、帰国後の数ヶ月間 一人で悩んで、試行錯誤しながら自分の力でクリアしていったからこそ、彼の笛は上達したのだと私は感じています。
彼がこのままずっと笛を続けていったらきっとシンガポールを代表するいい笛吹きになりますよ。

さて、そんな彼を見て自分を振り返ります。

病気から復帰して立て続けにパフォーマンスが入っていた私は早く元のコンディションに戻そうと普段やっている基礎練をすっ飛ばして演奏する曲の練習ばかりしていました。
焦るあまりに自分の笛に向き合う時間を持てていなかったことを反省致すところです。
雑念を捨てて自分の笛と問答する日々に戻りたいと思います。




〈シンガポールで篠笛を頑張る人たちの記事〉
シンガポールの篠笛練習会

2017/03/07

このブログについて

1月末から2月初めまで日本に一時帰国していました。
今回の帰国では様々な形で古典芸能に触れる・習う機会に恵まれ短い期間の中でたくさんのことを学びました。


が、シンガポールに戻った途端人生で最悪最大の頭痛に襲われ、空港から病院へ直行&入院するというまさかの事態に。
ウイルス性髄膜炎と診断され、入院と自宅療養で完治するまで二週間はかかりました。
シンガポールに戻ったら習ったことを早速復習しようと思っていたのにとんだ災難でした。


ブログの更新が遅れたのは患っていたせいもありますが、もうブログ自体削除してしまおうかと入院中から思っていて、実際削除して放置していたことが一番の理由でもあります。

篠笛のことを知れば知るほど、自分が何をやりたいのかという方向性が明確になってきて、過去に書いた記事のいくつかと今の私の考えが合致しなくなりました。また、嗜好が強くなったことで、逆に自分が受け入れられないものも増え、でも人と揉めたくない私は自分の心の内を正直に表すことが出来なくなりました。

全方向にいい顔をしながら、自分のスタンスを表明する、なんて芸当は私には無理。だったら一層黙ってしまうのが得策ではないかと考えたのです。


さらに根本的なことをぶっちゃけてしまうと、じゃあ私が何か篠笛のことで(奏法や技術的な面だけでなく、その起こりや歴史的なところも含めて)きちんと語れることがあるのかと聞かれたら、正直ないのです。勉強していく中で自分の無知を絶望的なまでに知らされている過程にいます。

また、30半ば前にシンガポールで趣味として篠笛を始めた私は、誰もが納得する分かりやすい看板(例えば、長唄等の流派に属している、地元で祭囃子を吹いていた、音大出身、何らかの日本の伝統芸能を嗜んでいるetc...)を持ち合わせておらず、何を言ったところで「お前がどんだけのもんやねん」と突っ込まれたら、何でもありませんよ、と答えるしかないのです。
このようなことを入院・自宅療養中にぐるぐる考えていたらもう色々面倒になってきて、ブログを閉鎖することにし全ての記事を削除してしばらく放置していました。


しかし、このBloggerというブログ作成サイトは削除したブログを一定期間内なら復活させることが出来るんですね。
今日試しにブログを復活させて過去の記事を読んでいたら、もがきつつも自分はこうありたいという気持ちを言葉を選びながら綴っている記事もあり、残しておきたいなと思いました。


別に心の内の全てを晒す必要もないんですよね。
篠笛に関しても格好つけずに「まだまだ勉強中です」と公言すれば良いのです。
そう考えると急に気持ちが楽になり、ブログを続けていこうという気持ちになりました。


ブログ名も改定して「ある篠笛好きのつぶやき‐北緯一度から‐」にします。
ハードル下げました(笑)

北緯一度はシンガポールのことです。私はシンガポールに嫁いで来て、夫が三味線を始めた影響で篠笛に出会いました。結婚せずに日本に住んでいたら今頃篠笛のしの字も知らずに生きがいもなくただ老いていくだけの人生を歩んでいたことでしょう。シンガポールに来たことが私の人生に光を与えてくれたのは間違いありませんから外せない要素です。


過去記事で今の私が読んで「違うな」と感じたものは削除してます。ですので間がものすごく空いていたり、前後の繋がりが若干不自然な記事もあるかと思います。
ご容赦ください。


長々と書きました。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。


ブログは不定期ですが、演奏活動は定期的にやってます。

体が動くまで演奏していくつもりです。